「運動会など不要!」 大人の屁理屈
先日、ナルのガールフレンドのユアちゃん(小学1年生6歳)と遊んでいた時に、
「ねえねえ、なんで運動会ってあるの?」
という質問を頂いた。
かつての面倒くさい子供の代表で、近所の子供たちの良き相談役を目指してい私は、その質問にしばし言葉を失った。
運動会の思い出
なぜ運動会をやるのか?
小学校の頃、確かに私も運動会が嫌だった。
正確には、運動会に備える運動会の練習が嫌だった。
夏休み明けのまだ暑いさなかに、行進ひとつとっても右、左、右、左と足並みから足の上げ方までそろえ、ラジオ体操のやり方まできっちりと指導される。
低~中学年の集団演技は、ヒステリックな教師の声におびえながら必死に振付を覚え、高学年の組体操では日々土を食っていた。
私が小学校の運動会から学んだものは何か?
大人になった今、改めて問い直してみた。
無い。
特に無い。
あったとしても、やり方を変えて学ぶ方法があったものばかりだ。
中学校、高校の運動会には多少の良い記憶がある。
だが、その良い記憶というのは主に生徒主導でやることを任された応援だったり、バックパネルの作成だったりというところだ。
やはり、やらされてやる仕事はつまらない、ということだ。
大人の屁理屈
ユアちゃんの質問に、私は
「ユアちゃんのお父さんやお母さんに、普段は見られない 学校でユアちゃんが頑張ってる姿を見せるために運動会はあるんだよ」
と答えた。
「え~」
ユアちゃんは不満そうだった。
私も自らの答えに不満だった。
そんな姿を見せるためだけなら運動会など不要である。
どうしても子供のためにやっている部分よりも、大人のためにやっている部分が目について気持ちが悪い。
誰か私になぜ運動会をやるのか教えて欲しい。