「学校では教えてくれないこと」 大切なことは授業外で学んだ
とある中学校に呼ばれて講演した時に「僕はいじめを受けて学校に行かなくなったが、あの頃は学校が世界の全てだった。大人になってわかったのは、世界は本当に広いということ。学校が全てじゃないです。本当に辛い時は逃げてください。」と話したのだけど、終わった後に校長先生に怒られた。
— 家入 一真 Kazuma Ieiri (@hbkr) 2017年9月24日
学校では逃げ方は教えてもらえないらしい。
道理で日本人は逃げるのが下手で、玉砕したり、過労死したりするんだな。
最も、私は端からそういうところを、学校教育というシステムにあまり期待はしていない。
堀江貴文氏は「すべての教育は「洗脳」である」という本を出されているが(未読)、私はどちらかというと矯正施設の様に感じている。
(特に小~中学校の義務教育)
子供たちが生まれ持っているさまざまな個性は、学校という矯正施設で削られ、社会の求める形に修正されていく。
何しろ、日本の社会が求める人材も矯正され、型にはまる人材であるのだから仕方がない。
それは必ずしも悪いというわけではない。
教育によって動物を人間にしていく過程でもあるわけだから。
矯正施設で削られなかった人間というのは、色々尖っていて集団の中での使い勝手は悪い。ただし、集団の中で使い勝手が悪いだけで、場所によっては削られなかった個性によっていろいろと活躍する。
一方で、もっと個性を尊重した教育を!という意見にはあまり同意しない。学校程度で削られてしまう個性など、個性と呼べるのか疑問だからだ。本当の個性は削れない。むしろ尖る。
また、学校というシステムは基本的には個性を削っていくものだが、そこで働く教師によっては個性を伸ばしてくれる教師もいる。
思い返すと、小中高の12年間で数人だけ、私の周りにもそんな先生がいた。そういった先生に巡り合えれば幸運だ。 (大半は冒頭の家入氏の校長先生のタイプか)
さて、それを踏まえて親に何ができるかを考えなければならない。
未だ削られぬ原石のナルとトモが我が家では待っている。