シコウ錯誤の日々

ナル(4歳男児)とトモ(2歳男児)のハザードレベルを上げるために日々奮闘中。

「学校では教えてくれないこと」 大切なことは授業外で学んだ

 

f:id:wanderingstar716851:20170929084337j:image

 

 

 

学校では逃げ方は教えてもらえないらしい。

道理で日本人は逃げるのが下手で、玉砕したり、過労死したりするんだな。

 

最も、私は端からそういうところを、学校教育というシステムにあまり期待はしていない。

堀江貴文氏は「すべての教育は「洗脳」である」という本を出されているが(未読)、私はどちらかというと矯正施設の様に感じている。

(特に小~中学校の義務教育)

 

 

子供たちが生まれ持っているさまざまな個性は、学校という矯正施設で削られ、社会の求める形に修正されていく。

何しろ、日本の社会が求める人材も矯正され、型にはまる人材であるのだから仕方がない。

f:id:wanderingstar716851:20170929171830p:plain

 

それは必ずしも悪いというわけではない。

教育によって動物を人間にしていく過程でもあるわけだから。

 

 

矯正施設で削られなかった人間というのは、色々尖っていて集団の中での使い勝手は悪い。ただし、集団の中で使い勝手が悪いだけで、場所によっては削られなかった個性によっていろいろと活躍する。

 

一方で、もっと個性を尊重した教育を!という意見にはあまり同意しない。学校程度で削られてしまう個性など、個性と呼べるのか疑問だからだ。本当の個性は削れない。むしろ尖る。

 

 

また、学校というシステムは基本的には個性を削っていくものだが、そこで働く教師によっては個性を伸ばしてくれる教師もいる。

思い返すと、小中高の12年間で数人だけ、私の周りにもそんな先生がいた。そういった先生に巡り合えれば幸運だ。 (大半は冒頭の家入氏の校長先生のタイプか)

 

 

さて、それを踏まえて親に何ができるかを考えなければならない。

未だ削られぬ原石のナルとトモが我が家では待っている。