「フラリーマンの怠慢」 昭和は遠くになりにけり
基本的に、週明けが一番疲れている。
疲れ切った体を水曜日ぐらいまでに頑張って回復させるのが最近の傾向である。
今流行りのフラリーマン
朝のNHKで、働き方改革で定時帰宅が可能になってもまっすぐ家に帰らない夫のことをやっていた。
まっすぐに会社に帰らず、ふらふらと時間を潰す様からフラリーマンというらしい。
夕方といえば家事育児のコアタイムである。
だがその家庭はもう旦那が早く帰ってこないことが前提のシステムが完成していて、今さら旦那が早く帰ってくる必要もないのだという。
彼に求められている役割は、働いてお金を稼いでくること。
まさに、亭主元気で留守が良いというATM旦那である。
時代は変わっていく
昭和の時代は、それで良かったのだと思う。
フラフラしないで仕事してたしね。
私はあの時代、がむしゃらに家族のために働いた父親たちをリスペクトしている。
それがあの時代の考えうるベストの選択肢だったからだ。
そもそも、あの時代母親は専業主婦が一般的だったしね。
だが、その生き方の行きつく先に、熟年離婚や引きこもりの問題などが発生しているのを目の当たりにして、我々は昭和の父親像を再検証する必要が出てきた。価値観は時代とともに変わっていく。
時代は変わった。
今、昭和の父親像をなぞるのは間違いだ。
当時はベストだった。
だから、私は彼らをリスペクトする。
だが、今昭和の父親像で生きることを変えないのは怠慢に過ぎない。
つーか、妻側も働いている共働き夫婦で、旦那がフラリーマンするようだと、もはや怠慢というレベルじゃないな・・・
家事も育児もできなくて、家に居場所が無い旦那。
掛け違えたボタンのようである。
一度 ボタンを掛け違うと 後になるほど修正が大変だ。
最後まで気づかなければ、ボタンは一つ余る。
そういう私は
そして、こんなことを書いた後に私自身はサボリーマンであることに気付いた。
しかも、仕事中にブログを書くという筋金入りのサボリーマンだ・・・