シコウ錯誤の日々

ナル(4歳男児)とトモ(2歳男児)のハザードレベルを上げるために日々奮闘中。

「キラキラワーママとキラキライクメン」 これからの大人像

 f:id:wanderingstar716851:20180111182014j:image

テレビ台に上がるのをやめさせたい

 

 

今さらではあるのだけど、イクメンの対義語は何かと考えて、ワーママだと気付いた。

イクママとは言わないし、ワーパパとも言わない。

ワーママとイクメン。

これらは対だ。

 

父親は外で働き、母親が家で家事育児をするのが一般的だった時代の名残ということなのだろう。

これらの言葉は、その常識を打ち破り生まれた新たなClassに与えられた称号だ。

 

 

個人的パラダイムシフト

最近、家庭を顧みずに自分のやりたいことを頑張って成果を出した人の姿や言葉に共感を覚えられなくて困っている。

まあ結果は結果として凄いと認めるのだけど、その人を応援できないのだ。

そんな人になりたいと思えないのだ。

個人的パラダイムシフトである。

 

そんな感じなので、年配の世代であったり、上司の言葉が心に響かない(笑)。

むしろ、自分より年下の世代を参考にしたり、リスペクトしてしまうことが多くなった。

 

いや、夫婦の形は人それぞれだから、「夫を支えたい」ってのは良いんだよ。

そんな夫婦の形もまだあるのだろう。

だが、そこはもう目指せない。

 

これからの社会で多くの人に応援され、支持を集めるような人ってのは、まず家庭を大切にしつつ仕事でも結果を出せる人なんじゃないだろうかと思う。

 

 

関係ないけれど、昨今不倫が必要以上に叩かれるようになったのって、このあたりの価値観の変化があるような気がする。

根底に家庭、家族への回帰ってのが人々の価値観にあって、それを壊すような不貞の価値観を許さないっていう。

 

 

キラキラワーママとキラキライクメン

女性が母親になってもキラキラしているワーママに憧れる感覚はなんとなく分かる。

憧れるよね。

だって、それが理想の生き方のロールモデルでありヴィジョンなのだから。

私もキラキラしたイクメンになりたい。

仕事も趣味も家事も育児も頑張る俺!

 

 

そして、その理想の姿に近づこうとして疲弊していく理由も、現在身をもって体験している。

理想と現実のギャップ。

全部やろうとしたら能力や環境によってはキャパシティをオーバーしてしまう。

身近にそんなモデルがあったりすると、なおのこと焦ったりもするんだろうが、現時点で実現している人は非凡であるからそんなに悲観することはないのだとも思う。

 

もっとも、私は筋金入りのサボリーマンなので、仕事は頑張らないのだけどね。

  

 

これからの社会を考える

何かと子育てしづらい世の中であるが、それは育児してないおっさんの価値観で作られた社会だからなのだろう。

だが、少しずつだが男性が育児をすることの敷居は随分と下がってきた。

 

この先、家事育児をしない父親は尊敬を集めることは出来なくなる。 

昭和生まれの私ですらそうなのだから、若い世代からは徐々に古い価値観は抜けていくことだろう。

イクメンであることは、これからの時代のリーダー像に求められる最低条件でもあるのだ。

だから、出世したいのであれば、ビジネスパーソンはキャリアのために育休を取るべきである。

 

 

 

これまでは、がむしゃらに働き、働かせ、会社の利益を上げることが求められてきた。

それが、経営者のヴィジョンであり、社会のヴィジョンだったからだ。

だが、少子高齢化のこれからの時代は、優秀な人材をいかに集めるかということが、会社を持続的に運営していくうえでも非常に重要になっていく。

売り手市場は今後も続くことが予想される中、人手不足の時代に優秀な人材が集まる会社はどのような会社か?

給料が高い会社、従業員を大切にする会社、働き甲斐がある会社。

 

そんな中で、 父親が家事育児に参加できないようなブラックな会社というのは、どんどん淘汰されていくことだろう。

そんな会社で働きたく無しい、そんな会社で働く男と結婚したい女性が減っていくだろうからね。

人が集まらなくなる。

 

そんな中で、ロールモデルとなるのが家事育児をしっかり経験したイクボスということになるのだろう。

 

間違いなく、将来はそんな時代になる。

 

 

キラキラと輝くために

だが、問題は今である。

 

私は男なのでどうしても男性の目線の話になってしまうのだが、今ちょうど育児参加が義務であった時代から、育児に参加する権利を獲得する時代に変わって行こうとしているのだと思う。 

イクメンとワーママが対であるならば、「すべての女性が輝く社会づくり」をするためには「すべての男性が輝く社会づくり」をしないといけない。

 

これは男性から奪われていた育児をする権利、機会を取り戻す戦いなのだ。 

多分、権利というものは黙っていて与えられるものではない。

戦って、獲得するものなのだとも思う。

既得権益によって守られている奴らから、奪い返さないといけないのだ。

大義名分やら、社会情勢やら、時代背景やら、あらゆる方便を武器や盾にしてでもね。

 

さあ、戦おうか。

理解のない上司と、同僚の冷たい視線と、古くかび臭い空気と。

そして、社会や他人にだけ変化を求めるのは傲慢だと思わないかい?

だから、自分も変わらないといけない。

 

戦え。

何を?

人生を、だ。