シコウ錯誤の日々

ナル(4歳男児)とトモ(2歳男児)のハザードレベルを上げるために日々奮闘中。

「あたしおとうさんだから」 宇宙が平和になったら何をしたい?

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お父さんだから息子たちと戦わねばならない!

 

あたし おかあさんだから

「あたし おかあさんだから」という作詞:のぶみ 歌:だいすけおにいさん の曲への大量の非難の言葉がTwitterのTLで大量に流れてきて驚いた。

 

のぶみ氏といえば、「ママがおばけになっちゃった 」「このママにきーめた!」あたりの著作が、賛否両論ある絵本作家である。

普通の絵本なんて、賛否のなんてわざわざ出て来なくて、ただ売れないのが普通なのだろうけれど、のぶみ氏の本には否定的な意見がある。

売れるから否があるのか。

まあ、子供への影響の善し悪しはさておき、刺激的な絵本を書く人だ。

 

だいすけお兄さんと言えば、「おかあさんといっしょ」の一つ前の歌のお兄さんである。

番組卒業後も人気は高く、妻マコもだいすけお兄さんが出てくる番組はチェックしているようである。

「だいすけお兄さんからでんわ」という電話系アプリもある。

(我が家ではヒーローから電話に課金しているため未課金)

 

まあ、このあたりの紹介は育児ブログなので基礎知識としてあるってことでさらっとな。

 

 

炎上ケミストリー

何事かと歌詞を一読してみたが、正直何故炎上したのかが分からなかった。

「おかあさん」を「おとうさん」にして自分に当てはめると、そんなに違和感は無かったからである。

 

だけど、視点を変えてみるとこの問題が見えてくる。

これが、仕事一筋で家庭を顧みない父親への応援歌だったらどうだろう。

「父親になったんだから、しっかり働かないとな!」 という、年配世代から私が言われている昭和の価値観の押しつけ。

それの、母親版ということなのだろう。

牛乳石鹸のCMと同じ構図なのか。

 

 

そして、これはあれだ。

お母さんたちののぶみ氏憎しという感情と、だいすけお兄さん大好きという感情が絶妙にケミストリーを起こして、大炎上しているのか。

よくも、私の大好きなだいすけお兄さんに、のぶみ氏が詩を書いた歌などを歌わせやがって!

作詞がのぶみ氏じゃなければ、歌ったのがだいすけお兄さんじゃなければ、ここまで大事にはならなかっただろう。

 

呪いの歌とまで言われているのだから、嫌われっぷりは尋常ではない。 

「だいすけ仕事選べ!」という意見もあった。

 

 

あたしおとうさんだから

あたしはおとうさんだから、子供が欲しがれば大好きなおかずでもあげるし、仮面ライダービルドの変身フォームは全部言えるし、カレーは味付けを変えて大人用と子供用で2種類作るし、大好きだったゲームもご無沙汰だし、飲み会もかれこれ行ってないし、子供のことばかり考えている。

最近のマイブームは自分の小遣いで子供におもちゃを買ったり、外食したりすることだ。

いまだに煙草は吸ってるけどな!

 

これは私がお父さんだからなのだろうか。

お父さんだから、という部分は当然ある。絶対にある。

これは、否定することはできない。

だが、それ以上に私がやりたいからやっているのであって、誰かにやれと言われてやっていることではないのだ。

 

 

これが炎上しているということは、世のお母さんたちはいまだに「母親とはこうあるべき」といった系の無言の圧力であったり、そういうものに常に晒されているのだろうなと思った。

「もう、理想の母親像の押し付けはお腹いっぱいなんだよ!しかも、ちょっと的外れ!」と怒っているのだろう。

外野のクソバイスをさらっと流せないところが、母親たちの消耗具合を示しているのかなとも思う。

 

 

お母さんだから お父さんだから

お母さんだから、こうする。

お父さんだから、こうする。

多分これは、人それぞれ、家族それぞれではある。

ただ、事実として、二人の親の間に、小さな子供がいる。

これだけは絶対的な事実である。

 

お母さんだから家事をするのか、お父さんがしないから家事をするのか、子供のために家事をするのか。

そのあたりは、本当は家族の問題であって、他人があれこれ言うべきことではないのかなとも思う。

 

ただ、私自分の問題としては、子育てに男性が関わるのは異常という価値観の世界線だったとしても、育児に関わりたいとは思う。

その方が、私が面白いし、マコは助かるし、ナルトモも楽しいだろうから。

 

 

宇宙が平和になったら何をしたい?

「あたし おかあさんだから」が炎上していた日、宇宙戦隊キュウレンジャーも最終回を迎えた。


物語のクライマックスで、かつての英雄ホウオウソルジャーは自らを犠牲にして悪の親玉のドン・アルマゲを倒そうとするが、若き英雄であるシシレッドはそれを良しとはしなかった。

シシレッドは皆が助かる道を最後まで諦めようとはしなかった。

世界が平和になっても、その世界にお前もいなければダメなんだ、と。

 

育児中の親は、すぐに自分が頑張って、自分の何かを犠牲にしてでも子供を優先させようと考えてしまうが、多分それは間違いなのだろう。

仲間たちはそれを望んでいないし、子供たちもそれを望んではいないのだ。

最後の瞬間まで、皆が幸福になることを諦めてはいけない。

それはこの作品が最後に親に向けて発してくれたメッセージなのだと思う。

 

 

最終決戦に臨む前に、シシレッドが皆に尋ねるシーンがある。

「みんな、宇宙が平和になったら何をしたい?」 

こんな時に・・・と、仲間たちは驚く。

だが、シシレッドは「こんな時だからこそだよ!」と問いかける。

 

育児が終わったら、何をしたい?

育児という経験で何を得て、それで何をするんだい?

人生100年の時代だ。

自己犠牲は時代遅れで、育児で燃え尽きるには人生は長過ぎる。

育児は人生の大切な一部分だが全てではない。

日々慌ただしく、大変で、先なんて見えないかもしれないが「こんな時だからこそ」未来に、育児の向こう側の自分に想いを馳せることが必要なのかもしれない。