「楽育児」 正しいと信じる道を行け
スマホ育児の最前線
授乳中にスマホ見るな!
TwitterのTLに今さらながらの「授乳中にスマホ見るな!」という話題が流れていたのでビックリした。
今さらこの話題で議論するのかとも驚いたのだけど、議論を追いながら授乳中にスマホを見るのは「楽をしている」ことになるのだろうかとも考えた。
「楽をしている」というのであれば、スマホが授乳してくれればいいのだが、そうではない。
ミルクで育児をするのは、大昔から見れば「楽をしている」ように見えるかもしれないけれど。
世間では、何かと楽することには否定的な意見を持つ方が多い。
仕事で楽をする、育児で楽をする、家事で楽をする。
「楽しやがって・・・」
自分が苦しんだのだから、お前も苦しめと言わんばかりである。
何という時代錯誤、不条理、ナンセンス。
まあ、そういう人はきっと永遠に救われないだろうから、いいんだけどね。
そうでなければ、楽できる状況で楽をしない人ってのは修行僧的に自分を鍛えているか、ドMか、頭が悪いのだろう。
だから、それもそれでいいのだろう。
楽はしてるが、狡はしてないよ
「楽をする」と「狡(ズル)をする」とは違う。
楽をするのは正式な手順を踏んだ上で、工夫をしたり、新たな方法を使ったりして手順を最適化するものである。
狡をするというのは、正式な手順を踏まなかったり、禁止された方法を使ったりして、結果を最適化する。
私は時々後者も選択するが、コンプライアンス的にも問題があったりするので、お勧めはしない。
だが、前者については、 本来は何の問題も無いはずである。
日本では苦労して獲得した物の方が、苦労せずに獲得したものよりも価値があるという価値観が根強い。
だが、獲得したもの自体は本来は等価である。
上記の授乳中のスマホ問題であれば、むしろ母親がリフレッシュして、ストレスを軽減することができたことによる良い効果だってあるわけだしな。
正しい育児よりも楽しい育児
確かに、授乳中にスマホを見るというのは、子供のためにではなく、母親のための行為である。
もっとも、慌ただしい出産直後の日常の中で手が空く合間を縫って、ここぞとばかりに情報を収集したり、息抜きをしたりしているのだ。
これは「楽をする」ではなくて「楽しい」時間なのであろう。
「正しいより、楽しい」が我が家の育児のモットーである。
なので、我が家ではマコがスマホ見ながら育児していようが、何していようが気にもならなかった。
ただでさえ自由が制限される育児中だ。
自分の小さな欲すら満たせずに、どうして育児を楽しめるだろう。
正しさを求めて
一方で、「授乳中にスマホ見るな!」というクソリプに対して、皆さんきちんと反論していたのがすごく驚いた。
私に飛んできたリプであれば、「せやな」とだけ返信するか、即ブロックするレベルのコメントである。
同じように現実社会において、クソバイスと言われる何の役にも立たないアドバイスに傷ついたという愚痴もよく流れてくる。
現実社会で私にかけられた言葉であれば「あ~ そうなんだ~」と、ナルのお友達のりゅうのすけ君の物真似コメントをするか、即ブロックである。
皆、よく律儀に対応するな、と驚く。
やはり、心の中では承認や正しさを求めているのかな、とも思う。
育児に正解はない。
生まれ持った子供の特性も性格も皆違うんだから、最適の育成方法だって当然違う。
私も他人の育児を見ていて、「もっと楽しく育児すればいいのに」と思うこともがあるが決して口には出さない。
これは、「正しさよりも楽しさ」がモットーなのは我が家の問題であり、それを他の家族に押し付けたりすることは間違っていると考えているからだ。
それぞれが愛情を注ぎ、正しいと信じる育児をすれば多様性が生まれる。
多様性こそが必要だって、3種類しかなくなったコンビニを見ているとつくづく思う。
「どんな育てられ方をしたんだ!」って言われるような大人だって、今の社会では受け入れられないだけで、それこそ戦争状態であったり、異世界に転生した場合にはベストマッチして英雄になれるかもしれない。
それこそが、多様性が生み出してくれる可能性だ。
「すくすく子育て」の 大豆生田先生が、下記リンクのConobieの記事で良い言葉を教えてくれた。
正しい育児よりも、自分らしい育児。
みんな違っていいんだぜ。
自分を信じで進もう。