シコウ錯誤の日々

ナル(4歳男児)とトモ(2歳男児)のハザードレベルを上げるために日々奮闘中。

「家族の在り方」 育児に伴う犠牲、搾取、奉仕、献身

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外回りを終えて自席に戻ると、年末調整の書類と忘年会についての出欠のアンケートが置かれてあった。

もうそんな時期かと思いながら、忘年会のアンケートについては 欠席 に丸を付けて早々に提出する。

 

弊社では年に3回ほど(お花見、ビアガーデン、忘年会)会社の飲み会が開催される。

だが、思い返すと1年前のお花見に参加したのが最後だ。

ここ1年半ほどはずっと不参加である。

参加しない理由はもちろんナルトモの世話が忙しいからだ。

 

夕方眠くなってぐずぐずボーイのナルとふにゃふにゃボーイのトモ。

こいつらに、一人でご飯を食べさせ、一人でお風呂に入れて、一人で歯磨きして、一人で寝かしつけをする。

これは育児タスクの部分のみだが、これに更に家事タスクが加わる。

もし自分がやると考えたら、想像しただけで乾いた笑いが出るぐらいハードである。

 

 

私が大好きな飲み会に参加できないことは犠牲ではない。

飲み会だけでなく、大好きだったゲームも、映画も、漫画もかれこれご無沙汰であるが これも犠牲ではない。

これは、あくまでもより優先度の高いタスクを優先した結果に過ぎない。

私は私の意志で選択して育児をしているのだ

 

ナルが3歳になってしみじみと思うのだが、子供と濃密に過ごせる時間は濃くて短い。

あっという間に手が離れる時が来る。

優先度の低いタスクは後回ししてしまうべきである。

酒もゲームも映画も漫画も今じゃなくても楽しめる。

だが、ナルとトモの日々の成長は、今じゃないと見られないのだ。

 

 

一方で、私が飲み会に参加して、マコが普段二人がかりでやっているナルトモの世話と家事を一人でやらないといけないとしたら?

これはマコが犠牲になったと言えるんじゃないだろうか。

そして、日常的にそれをマコに押し付けるとしたら、それはもはや搾取と呼んでもいいのかもしれない。

 

本来、子育てに犠牲搾取という言葉は似つかわしくない。

特に子供に対しては、私の意志でやっているのであるから、私が頑張るのはもはや奉仕であり献身である。

もし、子育てのシーンで犠牲搾取という言葉が当てはまるとしたら、それは夫と妻の間でのことだろう。

 

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現在、twitterで色々な子育て中のアカウントをフォローしているのだけど、現実世界で誰にも吐き出すことができずに、ネットの海に吐き出された子育ての苦悩やら、旦那の愚痴などがTLには流れていく。

 

私は大してフェミニストではないけれど、家事や育児の負担を一方的に押し付けられて犠牲になっている妻の姿や、社会が女性であることを理由にして母親がいまだに搾取されている姿を見るのには眉を顰めてしまう。

 

そこにある搾取は、門閥貴族がその領民に対して、貴族であることを理由にして搾取しているのに似た醜さがあるからだ。(@銀河英雄伝説)

なんだかんだ言って男性社会の世の中であるならば、男性はその権利の上に胡坐をかくのではなく、権利に対して義務を負うべきではないだろうか?(ノブレス・オブリージュ)

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門閥貴族代表フレーゲル男爵(@銀河英雄伝説)

 

 

「男性が家事育児をする姿は格好悪い」という話題もあった。(昭和か!)

見方を変えれば 「家事育児を母親に押し付ける父親はカッコイイか?」という話になる。

ただし、家事育児を(嫌々)やらされている父親というのは、多分相当格好悪いな。

 

私はナルとトモにとってカッコイイ父親でありたい。

そして、思春期にはそんなカッコイイ父親に反抗して欲しい。

その後なんだかんだあって和解しつつ、いつかは私を乗り越えていくような息子に育てたいのだ。

 

 

犠牲、搾取、奉仕、献身。

色々な言葉を使ってみたが、どれも家族にはあまり似つかわしくない気がするな。

実際、私はナチュラルに育児が楽しくて、ナルトモが可愛くて仕方ないから育児に積極的に関わっているだけで、結局は自分のためでもあるのだ

育児よりも仕事が楽しくて楽しくて仕方がない人だっているのだろう。

 

ただ、私は育児をする中で何も失ってはいないことを発信しよう。

育児で何かが失われたりしない。むしろ、日々何かが生まれている。

 

生き方なんてそう簡単には変えられない。

人に言われて変えるものでもないないのかもしれない。

 

だが、心配しなくても、子供はあっという間に大きくなる。

成長してどんどん手がかからなくなっていく。

本当に人手が必要なのは多分3歳ぐらいまでの短い時間に過ぎない。

 

足を止める必要はないが、生まれたばかりの小さな命のために、小さな手と手をつなぎ共に歩くために、少し歩く速度を落としてみてはどうだろうかと思う。

  

 

まずはそこから始めようじゃないか。