「梅雨の曇天を見上げて」 初心忘るべからず
3年前から梅雨が大嫌いになった。
まあ、ジメジメしたこの時期を好きな人など滅多にいないと思うけれども。
この時期になると嫌な思い出が、悲しい思い出が蘇る。
それでも、梅雨が無くなったら困る。
そんな話。
普通のイクメン
長男であるナルが生まれて、私はイクメンとなった。
まあ、ごく普通のイクメンだった。
ちょっとイクメンっぷりをイキっていたかもしれない。
生後9カ月になる長男ナルは、目に入れても痛くないほど可愛かった。
ちょうど声を出して笑うようになった時期だったと思う。
仕事中にナルが笑う動画を眺めては、ひとりニヤニヤしたりしていた。
お風呂に入れたり、ミルクを飲ませたり、オムツを替えたり、寝かしつけをしたり、時々離乳食を作ってみたり。
家事育児は普通にやっていたが、ナルが小さいこともあってまだ余裕はあった。
余裕があったので、家にいるときに時間が空いたら別室でPCを開いてネットサーフィンに没頭したり、仕事中や仕事の合間にはスマホで Ingress というリアル陣取りゲームをしたりしていた。
私が属したのは地域では劣勢勢力だったので、休日やナルが寝た後にこっそり家を抜け出して、この世界を緑に染めようとする悪の勢力と戦ったりしていた。
妻マコはそんな私が「嫌だ」と言っていたが、私は「まあ少しぐらい良いじゃないか」とあまり聞く耳を持たなかった。
あの頃は、そんな事に夢中だったのを覚えている。
クソミドリムシどもめ!!! 世界を青き光の下に!(ヤバイ)
6月13日
梅雨入りしたが、雨が降ってないどんよりとした曇りの日だった。
あの日、あの夏に生まれてくる予定だった姪っ子の命が失われた。
早期胎盤剥離。
胎児の心音停止。
母体も危険。
全て『コウノドリ』で知識としては知っていた出来事だった。
そして、母体は無事だったが、胎児の命は助からなかった。
姪っ子は、生まれてくることができなかった。
私はまだ過信していたのだろう。
この私の身に、私の身内にそんな不幸が訪れるはずがない、と。
そんな悲しいことが起こるはずがない、と。
私は自分自身の幸福に自惚れていたのかもしれない。
真冬の雨よりも冷たい水をぶっかけられたような出来事だった。
姪っ子と私には血の繋がりは無い。
それでも、間違いなく私の人生の中で一番悲しい出来事だった。
これまでも、祖父母や知人を幾人か見送ってきたが、彼らは順繰りに旅立って行った。
無念な死もあった。
惜しい命が失われて、涙した事もあった。
だが、姪っ子はこの世に生まれてくることが出来なかった。
全く・・・ この世に子供が年寄りを置いて旅立っていくことほど、悲しい出来事は無い。
ジメジメとした日々
あの日、私は妻マコに「お前は『ナルの母親』なのだから、しっかり気を持てよ」と言ったのを凄く覚えている。
そう言っておきながら、暫くは自分自身が眠れない日々を過ごしていた。
何もわからないで普段通り無邪気に甘えてくるナルを抱きしめながら、どうして「あの子」は生まれてこれなかったのだろうと考えると涙が溢れてきた。
会社でも、家でも、父親としても、気丈に普通に振る舞いながらも精神的に苦しい時期だったのをはっきりと覚えている。
睡眠不足で精神的に荒れていたこともあり、上司とも大きな喧嘩をした。
こいつをぶん殴って、こんなクソみたいな会社ともおさらばしてやろうか!
本気でそんなことを考えて、会社の自席の周りの掃除を始めたこともあった。
そんなこともあった。
だけど、それをしても誰も喜びはしない。
マコも、ナルも、生まれてこれなかった姪っ子も、その両親も。
どうして私が一番悲しくて、傷ついたみたいに振る舞うことができるだろう?
梅雨らしい、ジメジメとした日々を暫く送っていた。
私が本当の『覚悟』をしたのは、多分この時なのだろう。
悲しき育児モンスター
自分に何ができるだろう?
私はそれまでの自分の趣味をあらかた捨てることにした。
そして、『育児』を趣味にすることにしたのである。
私は24時間、365日を子供たちに捧げる『覚悟』をした。
生まれてきた命と、生まれてこれなかった命のために、やれることをやれるだけやる。
悲しき育児モンスターの誕生である。
そんな私はちょっと『異常』なのかもしれない。
だが、それが自分自身を癒すことになったのだから、自分のためでもあったのだろう。
その覚悟のおかげで、次男トモが生まれた後や、トモが川崎病で入院した際も、どうにか乗り越えることが出来た。
せっかく趣味にしたので、出来るだけ育児をエンタメ化して楽しんだり、ブログを書いたりもしている。
今なお、私は子供たちの事ばかり考えて一日を過ごしている。
おかげさまで、毎日楽しく育児をしている。
何よりも子供と自分自身のために。
梅雨の曇天を見上げて
出産というのは本当に奇跡なのだろう。
世の親に、自分の趣味や時間を全て捨てて、子供のために捧げろとは全く思わない。
もう少し捧げろよ、と思うことはあるけどね。
私と同じ経験を、想いを、世の人たちにしてもらいたいとも全く思わない。
あんな悲しみは、この世に無いに越したことはないのだ。
願わくば、人のままで親をやって欲しい。
ただ、私は忘れてはならない。
あの悲しい出来事を。
子供たちが無事に生まれてきてくれた奇跡を。
ナルとトモが元気に生まれて来てくれたことの喜びを、奇跡を、私は忘れてはならない。
姪っ子が生まれてこられなかったあの悲しみを、絶望を、私は忘れてはならない。
私は梅雨の曇天を見上げる度に、あの時の『覚悟』を思い出さねばならないのだ。