「大人として」 近所のチビどもと
男子3兄弟ならこんな感じなのかな・・・(死ぬ)
平和すぎて、ブログに書くことが無い
最近の我が家は平和である。
ナルトモの寝かし付けを早ければ21時ごろに完了させて、キッチンでマコと二人でだべる事も増えた。
ナルもすっかり幼稚園に慣れて、毎日楽しそうに登園していく。
トモも絶賛イヤイヤ期のはずだが、ナルで手こずった私たちにはまだまだ可愛いものである。
ああ、平和だ。
今日、何かあった?
そんな時に、マコが気になる出来事としてあげるのは、案外近所の子供たちの事だったりする。
お隣のミッくん
お隣にはナルの2歳年上のミッくんが住んでいる。
ミッくんにはナルと同い年の妹のミオちゃんがいる。
ミッくんのお父さんは、普段滅多に家にいない。
長距離トラックのドライバーだということで、家には週に1度帰ってくるかどうかというところのようだ。
そんなわけで、普段はお母さんとミッくんとミオちゃんの3人で暮らしている。
ナルトモとミッくんは仲良しだ。
ナルが外で遊んでいれば、ミッくんはすぐに家から出てくるし、ナルも同じだ。
トモもミッくんのことが大好きで、割と早い段階で「みっくん、みっくん」と名前を憶えていた。
私もナルトモを外で遊ばせていると、すぐにミッくんも合流するので、最近は3兄弟のように一緒にまとめて遊んでやることが多い。
男の子3人兄弟だとこんな感じか・・・
こいつぁ中々の地獄である。
ナルトモじゃなくて、ミッくんとトモで遊んだり (虫捕り中)
ミッくん観察日記
ミッくんを観察していると、ナルトモよりもちょっと多動気味だな~と感じることが多い。
あまり落ち着きがなく、衝動性が高い。
結構じっとしていられない子かもしれない。
そんなやんちゃなミッくんと妹を、ほぼワンオペで育ててミッくんのママはスゲーなと思う。
1年ぐらい前、一緒に遊ぶようになった頃のミッくんは、時々だが人を困らせる行動をしていた。
友達のおもちゃを強引に奪ったり、後ろからドンと押したり、砂をかけたり、石を投げたりといったヤンチャな行動だ。
それらは、突発的で衝動的ないたずらだった。
男の子ゆえのヤンチャさというのは存在するのだろう。
野生というか、本能というか、湧き上がってくるエネルギーによる意味不明の衝動なのだと思う。
だが、私はミッくんの問題行動に人の気を引きたいという、彼の心の中の満たされない寂しさを感じる事があった。
寂しさが生み出す陰みたいなもの。
陰は放っておくと、闇になってしまうのかもしれない。
私はそれを少しだけ心配していた。
ミッくんの成長
今現在、成長して世界が広がったからなのか、心の中の満たされない思いを吐き出すすべを学んだからなのか、近所に遊ぶ友達が出来たからなのか、幸いミッくんの中の陰みたいなものを感じる事はほぼ無くなった。
この一年の成長ぶりは実に素晴らしい。
私は今までミッくんを2回ほどがっつり叱ったことがある
一度目は注意しても、石を投げることをやめなかったとき。
二度目は砂だらけ、泥だけで家に入ろうとしたときだ。
(事前に注意しておいたのに!)
なお、二回目はナルも一緒だったのでまとめて叱った。
短く、わかりやすい言葉で、ちょっと怖い大人を演じて叱った。
かつて、大人になるってどういうことなんだろうと考えていた。
親になった今、私はナルとトモの育成に責任のある身となった。
そして、大人になるってことは、子供たちの未来にも責任を持つことなのかもしれないとも思う。
遊ぶ大人、叱る大人
よそはよそ。うちはうち。
それでも、よその家の子を叱る。
個人主義のこの時代である。
余計なおせっかいだと、ミッくんのママには思われるかもしれない。
だけど、一緒に遊ぶならば、やはり大人は叱るべき時は叱らねばならないのだろう。
私はそれも一つの大人の義務だと思っている。
以前ミッくんが少しだけ寂しそうに、
「ミッくんのパパは家の中では遊んでくれるけど、外では遊んでくれないんだ」
と言っていた。
分かったよ。
君たちが望むならば、これからも『ナル君のお父さん』は君たちと遊ぶよ。
それも大人の義務だ。
それが君たちの健やかな成長の助けとなるならば、 私は力を尽くすよ。
私の手はそれほど長くはないけどな。
私は一緒に遊んで、時には叱る大人をやりたいなと思っている。
手の届く範囲の子供達には、手を伸ばしてやりたいなと思っている。
時には力を貸したり、見守ってやりたいなと思っている。
一人の大人として、そう思っている。
近所のチビどもと遊んだ後、一人砂場のお片づけをしていたお隣に住むミッくんを皆の前で大いに褒めてやった。
— シコウサクゴ(ナルトモの父) (@Beld716851) 2018年5月21日
ミッくんはママに言われてやってたのかもしれないけどね。