「なるちゃん もうちょっとおおきくなったら ごめんなさいできるんだ」 謝らせる躾について
ナルとスマホアプリのヒーローから電話で遊んでいたら、薩摩剣士隼人(鹿児島のローカルヒーロー)が「ごめんなさいが言えない時」というテーマで子供たちに熱く語りかけていた。
ナルはじっとスマホの中のヒーローの言葉に耳を傾ける。
「ナル、薩摩剣士隼人もごめんなさいしような、って言ってるぞ?」
「なるちゃん もうちょっとおおきくなったら ごめんなさいできるんだ」
「そっか。じゃあ、頑張って大きくならないとな」
ナルの通称 おやっとさん 理由は「おやっとさぁ~」
( 薩摩方言でおつかれさま)と別れの挨拶をするため
ナルはいろいろと悪いこともするけれど、まだなかなか謝れない。
悪いことをしてしまったという意識はちゃんとあるんだけどね。
部屋の中で遊んでいてトモを泣かしてしまった時などは、マコや私の後ろに隠れたり、マコ製作の段ボールハウスに逃げ込んだりする。
だけど、ナルの口から「ごめんなさい」の言葉が発せられたことは、今のところほぼないんじゃないかな。
代わりに「もうしない」ってよく言っている。
悪いことをしたときに謝らせる躾って難しい。
「ごめんなさい」と言わせるだけの躾であれば割と簡単にできるのだろう。
それこそ、「おはよう」や「おやすみ」といった挨拶と同じように、使用するタイミングをしっかり教えてしまえばいい。
だが、「ごめんなさい」は挨拶ではないし、挨拶であってはならないはずだ。
「ごめんなさい」が出来るようになるには、自分がしでかしてしまった悪事をしっかり受け止め、傷つけてしまった相手のことを思い、それでもなおこれからも仲良くしたいと思うからこそ、「ごめんなさい」ができるのだ。
そう考えると、なんて高度なコミュニケーションだろう。
確かにナルの言うとおり、もうちょっと大きくならないと難しいかもしれないな。
私もマコも、ナルやトモに「ごめんなさい」を強要したりしないという方針では一致している。
勿論、「トモちゃん、すごく痛かったって・・・」「ナル、トモちゃんのこと押したらダメって言ったよね?」「ナルもドンってされたら嫌でしょ?」
こんな感じで、何がダメだったのかはしっかり教えている。
況や余所のお子様相手であれば、親は謝る。
子供のやったことですから、子供に代わって親が謝る。
その子の親にも謝る。
だけど、ナルやトモに本心でもないのに、またはよく分かってもいないのに謝らせたりはしない。
まず、形から入るという方法もあるのだろう。
形から入って、いつか心も伴っていけばいいという方針。
その方が、対外的なトラブルは少なくても済むかもしれない。
まあ、しっかり躾の出来た子ねと褒められたりするかもしれない。
だけど、私はそんなナルとトモは嫌だ。
他人が良しとしても、親である私が嫌なのだ。
心が伴っていない状態で、口では「ごめんなさい」が言えるナルやトモを見たくないのだ。
私はナルが「もうちょっとおおきくなったらできる」と言ってくれたことが嬉しかった。
薩摩剣士隼人の言葉を聞いて、あの小さい頭でいっちょまえに色々考えているのだ。
いろいろと葛藤しておられるのだ。
頑張って大きくなろうとしているのだ。
そのことが何だか無性に嬉しかった。
つい先日、4歳になる従妹のウルノちゃんが、マコにおもちゃをぶつけて、最初は逃げていたけど少し経って自分の意思で「マコちゃん、ごめんね」と言ってくれたらしい。
そうか、ちゃんとごめんなさい出来るようになるのは4歳ぐらいなのかな。
育児には、時には手を出したくなるのグッと我慢して、信じて見守ってやるべき場面が存在する。
成長は親がさせようと思ってできるものじゃない。
大きくなるのはナル自身なのだから、自分の力で、自分のペースで大きくなるしかない。
親にできるのはその手助けだけだ。
だから、私とマコは信じて待っている。
ナルが自分の意思で「ごめんなさい」できる日が来るのをのんびり待っている。