シコウ錯誤の日々

ナル(4歳男児)とトモ(2歳男児)のハザードレベルを上げるために日々奮闘中。

「なるちゃん もうちょっとおおきくなったら ごめんなさいできるんだ」 謝らせる躾について

 

ナルとスマホアプリのヒーローから電話で遊んでいたら、薩摩剣士隼人(鹿児島のローカルヒーロー)が「ごめんなさいが言えない時」というテーマで子供たちに熱く語りかけていた。

ナルはじっとスマホの中のヒーローの言葉に耳を傾ける。

 

「ナル、薩摩剣士隼人もごめんなさいしような、って言ってるぞ?」

「なるちゃん もうちょっとおおきくなったら ごめんなさいできるんだ」

「そっか。じゃあ、頑張って大きくならないとな」

 

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ナルの通称 おやっとさん 理由は「おやっとさぁ~」

( 薩摩方言でおつかれさま)と別れの挨拶をするため

 

ナルはいろいろと悪いこともするけれど、まだなかなか謝れない。

悪いことをしてしまったという意識はちゃんとあるんだけどね。

部屋の中で遊んでいてトモを泣かしてしまった時などは、マコや私の後ろに隠れたり、マコ製作の段ボールハウスに逃げ込んだりする。

 

だけど、ナルの口から「ごめんなさい」の言葉が発せられたことは、今のところほぼないんじゃないかな。

代わりに「もうしない」ってよく言っている。

 

悪いことをしたときに謝らせる躾って難しい。

「ごめんなさい」と言わせるだけの躾であれば割と簡単にできるのだろう。

それこそ、「おはよう」や「おやすみ」といった挨拶と同じように、使用するタイミングをしっかり教えてしまえばいい。

だが、「ごめんなさい」は挨拶ではないし、挨拶であってはならないはずだ。

 

「ごめんなさい」が出来るようになるには、自分がしでかしてしまった悪事をしっかり受け止め、傷つけてしまった相手のことを思い、それでもなおこれからも仲良くしたいと思うからこそ、「ごめんなさい」ができるのだ。

そう考えると、なんて高度なコミュニケーションだろう。

確かにナルの言うとおり、もうちょっと大きくならないと難しいかもしれないな。

 

私もマコも、ナルやトモに「ごめんなさい」を強要したりしないという方針では一致している。

勿論、「トモちゃん、すごく痛かったって・・・」「ナル、トモちゃんのこと押したらダメって言ったよね?」「ナルもドンってされたら嫌でしょ?」 

こんな感じで、何がダメだったのかはしっかり教えている。

 

況や余所のお子様相手であれば、親は謝る。

子供のやったことですから、子供に代わって親が謝る。

その子の親にも謝る。

だけど、ナルやトモに本心でもないのに、またはよく分かってもいないのに謝らせたりはしない。

 

 

まず、形から入るという方法もあるのだろう。

形から入って、いつか心も伴っていけばいいという方針。

その方が、対外的なトラブルは少なくても済むかもしれない。

まあ、しっかり躾の出来た子ねと褒められたりするかもしれない。

  

だけど、私はそんなナルとトモは嫌だ。

他人が良しとしても、親である私が嫌なのだ。

心が伴っていない状態で、口では「ごめんなさい」が言えるナルやトモを見たくないのだ。

 

 

私はナルが「もうちょっとおおきくなったらできる」と言ってくれたことが嬉しかった。

薩摩剣士隼人の言葉を聞いて、あの小さい頭でいっちょまえに色々考えているのだ。

いろいろと葛藤しておられるのだ。

頑張って大きくなろうとしているのだ。

そのことが何だか無性に嬉しかった。

 

つい先日、4歳になる従妹のウルノちゃんが、マコにおもちゃをぶつけて、最初は逃げていたけど少し経って自分の意思で「マコちゃん、ごめんね」と言ってくれたらしい。

そうか、ちゃんとごめんなさい出来るようになるのは4歳ぐらいなのかな。

  

育児には、時には手を出したくなるのグッと我慢して、信じて見守ってやるべき場面が存在する。

成長は親がさせようと思ってできるものじゃない。

大きくなるのはナル自身なのだから、自分の力で、自分のペースで大きくなるしかない。

親にできるのはその手助けだけだ。

だから、私とマコは信じて待っている。

ナルが自分の意思で「ごめんなさい」できる日が来るのをのんびり待っている。