シコウ錯誤の日々

ナル(4歳男児)とトモ(2歳男児)のハザードレベルを上げるために日々奮闘中。

「アメとムチ」 育児における信賞必罰

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だがしかし

最近、長男ナルが飴を食べるようになった。

とは言え、マコはあまり与えないので、与えるのはもっぱら私なのだが。

口の中でコロコロと転がして、飴を小さくしていく。

「ちいさくなった?」

残りの飴の大きさを口を開けて確認して貰ったり、わざわざ鏡で確認したりと、食べ方にもなかなかのこだわりがあるようだ。

 

飴やらジュースやらゼリーやらスナック菓子やら・・・

子供はこういうお菓子は本当に好きだよね。

大人も好きだけどね。

 

 

報酬は何だい?

お菓子大好きなナルであるが、相変わらずご飯はあまり食べない。

小食なのは便秘気味なのが原因なのかもしれないが、放っておくとすぐに「ごちそうさま」である。

身長体重共に平均並みであるので、栄養についてはあまり問題にしていないのだが、ナルがご飯を大量に残すとせっかくご飯を作ったマコの機嫌が悪くなる。

そのため、夕食の際には、最後は私の膝の上に座らせて、一気に食べさせるのが定番となっている。

 

ある日、食べさせてやるのが面倒くさくなって、こんな交渉をしてみた。

「ナル、ご飯全部食べたら飴をあげるよ」

そう言うと、目の色が変わってご飯をバクバク食べ始めたのである。

その食べっぷりに驚愕する。

 

私の100の説得よりも1の飴ちゃんの方が、圧倒的にご飯の食べが良かったのである。

私のこれまでの苦労はなんだったのかと打ちひしがれる。

 

 

禁断の果実

飴ちゃんを使えば、ナルを私の意のままに操ることが出来る。

グズっても、怒っていても、ダダこねていても、この小さな飴ちゃんさえ鞄に入れておけば 全て解決できるに違いない!

飴ちゃんは単価も安く、効果も高い!

私は禁断の果実を手に入れたのだ!

 

興奮する私に、マコの視線が突き刺さる。

「子供の教育的に、飴ちゃんで釣るのはどうなの?」とでも言うのか?

まぁ、その意見はもっともである。

 

だが、少し考えてみたら、我が家ではこれまでも色々なニンジンをぶら下げてきた事を思い出した。

今は普通に子供たちの食事と一緒に出てくるゼリーも、以前はご褒美的な使われ方をしていたはずなのだ。

だが、それが日常となり、魔法のような効果は失われてしまった。

現在では、食事の際にゼリーが無ければ苦情が出てくる始末である。

 

夜、寝る前の歯磨きも同じだ。

我が家では歯磨き後にハキラを与えているのだが、歯磨きをするための説得材料として使用した結果、最初1個だったハキラが今では毎歯磨き後3個に増加している!

 

これはダメダメなんじゃないか?

 

www.shikousakugodays.net

 

 

レベルアップ

多分、飴ちゃんシステムの最大の問題は、いつか飴に飽きるということなのだろう。

ゼリーが日常になってしまったように、ハキラの数が増えて行ったように、いつか目新しさが失われた時、飴ちゃんは効果を失ってしまうのだ。

 

アメの効果が失われてしまったら、また新たなアメを用意しなければならない。

それが、最大の問題である。

うーむ。

このシステムの運用は結構難しいな。

 

 

そして、これはムチにしても同じなのだろうな、と気づく。

叱って何かをやらせることも、いつかは効果が薄れていく。

それが日常になっていく。

その時、どうする必要があるのか。

更に強く叱り、更に強い罰を与えなければならなくなる。

 

ひのきのぼうが、こんぼうになって、銅の剣になって、最後は伝説の剣だ。

その想像に少しだけ背筋が寒くなる。

  

 

しばしば賞するは苦しむなり

取り敢えず、飴ちゃん作戦は頻度をコントロールしながら実施していこうと思う。

 

孫子の兵法にもある。

しばしば賞するは苦しむなり。

しばしば罰する者は困るるなり。

 

ご褒美ばっかり上げていると苦しいことになるし、罰ばかり与えていると困ったことになるぜ、というわけだ。 

じゃあ、どうすりゃいいんだよ!

どうすりゃ、ナルがご飯をパクパク食べてくれるようになるんだよ!

チクショー!

 

孫子の兵法は組織論でよく引き合いに出されるが、育児でもそれは同じなのだろう。

どうやって部下のモチベーションを高めるかも、どうやって子供のモチベーションを高めるかも根っこの部分は同じなのだ。

そして、どちらも絶対の解決策などは存在しない。 

 

 

結局、最終的にはナル自身が「大きくなるためにご飯をしっかり食べないといけない」とか、自分で考えるようにならないといけないってことなのだろうけどね。

多分、「ご飯を食べられた」という結果に、あまり拘らない方が良いのだろうという気はする。

 

まあ、この手の問題は今後もずっと続いていくのだろう。 

学校に上がれば、やれ宿題しろだとか、勉強しろだとか、そういう問題も出てくるのだろう。

何が本当に「やらせるべきこと」なのかは常に考え続ける必要があるのだろうな。

 

 

しかし、まあ、あれだな。

ご褒美で釣る育児ひとつとっても、多分正解は無いわけで、育児というのはひたすら試行錯誤の連続なのだなぁ、としみじみ思うのである。