「夏が始まった!」 自然に学ぼう
ホームセンターでカブトムシを買ってる親子を見た。
— シコウサクゴ(ナルトモの父) (@Beld716851) 2018年7月1日
もったいねー って思った。
お金じゃないよ。
夏が暑い。
6月だというのに30度を超える日々が続き、大人は既にバテ気味だがナルトモは元気に遊びまわり、日に日に日焼けしていく。
特にナルは幼稚園でも元気に外で遊んでいるようで既に真っ黒だ。
二人そろってお外で遊ぶのが大好きな兄弟である。
ミニトマト
我が家の家庭菜園は、今年も順調だ。
あっ嘘! 大葉は虫にやられたんだったわ。(チクショー!)
でもミニトマトは青々と茂り、まだ緑色だが鈴なりに実をつけてくれている。
ナルは実が赤くなって収穫できるのを心待ちにしているようだ。
去年の夏はまだ歩けなかった次男トモだが、今年は歩き回り走り回り家庭菜園にも興味津々である。
「おとうしゃん とまと おった! こわい!」
トモは最初は畑にトマトが『居る』のを随分と怖がっていた。
泣くほど怖がっていたのでちょっと不思議だった。
しかし、無鉄砲さには定評のある我が家の次男坊なので、気づくと恐怖を克服して勝手に緑色のトマトを収穫してはナルに叱られたりしている。
ある時、車でのドライブ中の退屈しのぎにと、落ちていたトマトを手渡して遊ばせていたのだが、後部座席のトモが突然泣き出したことがあった。
「とまと こわれた~」
見てみると、トマトの実と『ヘタ』の部分が外れていた。
「なおして~」
うーん、それは無理だ!
トモにとっては、トマトは『居る』ものであり、壊れたり、直せたりするものだったのだろう。
もしかしたら、想像の中のトマトは動き回り、食卓に並ぶのはそれをやっつけた後のものだったのかもしれない。
先日、ようやく赤くなったトマトを見つけてトモと一緒に食べた。
「すっぱい! とまと! すっぱい!」
普段食べているトマトと同じものだ。
こうやって、トマトは作られているんだ。
トモの中のトマトの情報が更新されていく。
カブトエビ
家の周りの水を張った田んぼには『カブトエビ』がたくさんいる。
お隣のミッくんがそれを捕まえていたので、我が家でも男達で漁に出ることにした。
私が網を引っ張り出してきて試しに掬ってやると、ナルトモが喚起の声をあげる。
「なるちゃんも やるよ!」
そう言って、私から網を奪ってナルが漁を開始する。
最初はおっかなびっくりだったナル。
ナルはびびりなので、ダンゴムシですら触ろうとしないチキンボーイである。
そんなナルだが、カブトエビは大好物のエビの仲間だから大丈夫なのか、すぐに手で触れるぐらいになった。
最初は一匹取れたら大喜びで、大事そうに虫かごに入れていたのだが、最終的には10匹以上を網にストックしたりしていた。
ヒェッ!
漁の途中でカニをみつけたり、おたまじゃくしを捕まえたり、種類の違うエビを見つけたり。
Twitterに写真をアップしたら、ホウネンエビとソコエビだと教えてもらったり。
茶色いのがカブトエビ、緑色がホウネンエビ、小さい黒いのがソコエビ
すっかりカブトエビ漁が大好きになったナルトモは、水の中に直接手を入れて捕まえたりもするようになった。
服やら頭やら、濁った水でドロドロだ。
手の中にカブトエビを隠し持つトモ
カブトエビは田に農薬を撒くと、居なくなってしまう。(婉曲表現)
この遊びを楽しめる期間は割と短い。
それでも、現在のところかなりはまっているようで、楽しげに漁に精を出すナルトモを見て、お父さんもニッコリである。
カブトムシ
さて、そんな夏らしい日々を送っている中で、冒頭のような光景に遭遇した。
ホームセンターのペットコーナーでは、カブトムシが1匹800円で売られており、それを購入する親子を見かけたのである。
(目撃したのはマコ)
私はその話を聞いて、
「うわー もったいねー」
と、心から思った。
もちろん、お金のことではない。
ナルトモがカブトムシに興味を持ったとしたら、私はまずネットで市内、県内でカブトムシが捕まえられそうな場所の情報を検索することだろう。
そして、色々な準備をして、ナルトモと山奥へ虫取りの冒険に出発することだろう。
計画して、準備して、冒険に出かける。
たとえ獲れなくても良いのだ。
夏が始まったばかりのこの時期に、それをしないことが心からもったいないと思ったのである。
思い出と物語
子供たちは割と飽きっぽい。
物にいたっては、所有した瞬間に消費されてしまうこともある。
あれだけ大好きだったものに、あっという間に興味を失ってしまうこともある。
ナルもなんだかんだで3ヶ月以上興味を持ち続けているものっていうのは少ない。
子供たちの好奇心によって、あらゆるものは消費されていく。
それは仕方の無いことなのだ。
謎や不思議に思うことが、情報や知識によって埋められたとき、ソレは消費されてしまうのだろう。
それを知っているからこそ、大人はその対象に意味を与えたり、次の何かを探してやったりしなければならないのだとも思っている。
そして、それは父親の得意とする分野なのだろうなとも思うのだ。
初めて目にしたときの瞳の輝き、おっかなびっくりな仕草、好奇心の発露。
情熱の炎になるかもしれない、小さな種火たち。
情報が知識となり、やがて知恵の材料となっていく。
そして、親の打算とか関係なく、一つ一つが楽しい思い出や物語になり、ナルトモを形作っていくのだろうと思っている。
子供たちにとって、世界は断片なのだ。
楽しかったことも、悲しかったことも。
その点と点の場面が、自分の中で線で結ばれていくことを『成長』と呼ぶのだろう。
カミキリムシを観察する兄弟