「点が線になる」 親がやらねばならないこと
体操教室
4月から長男ナルが通っている幼稚園では、放課後に幾つかの選択クラスに通うことが出来る。(有料)
体操教室、水泳教室、英会話教室、絵画教室。
なかなかの品ぞろえである。(有料)
「どれか行ってみたいものあるか?」と、ナルに確認したところ、体操教室に行ってみたいとのことだった。(有料)
そんなわけで、ナルは4月から週に一回の体操教室に通っていた。(有料)
「明日は水曜日だから体操教室の日だな!」
「うん、たのしみ!」
4~6月は体操教室をとても楽しみにしていた。
体操教室には、ナルがプレ保育で通っていた頃の友達も何人か通っていた。
今はクラスが分かれて遊ぶ頻度が減ってしまったかつての友達とも遊ぶことが出来るのも、体操教室を楽しみにしている理由の一つであった。
ところが、現在、ナルは体操教室に通うのを非常に嫌がっている。
「明日、水曜日だから体操教室の日だな!」
「・・・・・・」
下唇がニュっと出てくる、いつものナルが泣くときの顔になる。
何かあったのか!?
話を訊いてみると、最近は体操教室らしく鉄棒、跳び箱、マット運動などが始まってきたらしい。
そして、その中の『鉄棒』がとても怖いらしい。
そっかー。
それはしょうがないな・・・
しょうがないのか?
親の目論み、子の気持ち
ナルはビビりだ。
頭が良くて、想像力が豊かなので、行動が慎重になると言い換えることも可能である。
公園で遊具で遊んでいるところを観察していると、そういう部分が垣間見える。
登るのは得意だが、降りるのが苦手。
高い所から降りるときの、見えない場所に足を下ろすというのがとても苦手なようである。
高い所から飛び降りるときに必要なものは何だろう。
安全性をしっかり確認できる正しい状況判断。
そして、その判断に身を委ねる力。
勇気が必要なのだ。
正直なところ、体操教室に通って積極性とか、勇気とかそのあたりを学んで欲しいな~ と思っていた。
目論んでいたのである。
獅子は我が子を千尋の谷に落とすという。
それは、我が子の成長を期待して、信じての行為である。
我が家でもその選択肢を取ることは可能だ。
多分、ナル自身の成長や同じ年齢の仲間たちの姿を見たり、その刺激によっていつか恐怖を克服してくれることだろう。
ナルが体操教室に行きたくないと言い出した日、私とマコとナルで色々と話をした。
そして、我が家が出した結論は「体操教室をしばらくお休みする」というものであった。
勇気を教える
体操教室に通わせないことは、甘やかしているのだろうか。
ナルはビビりだし、甘ったれ小僧だ。
それは間違いない。
お父さん、お母さんが居る場では、何かとすぐに助けを求めてくる。
だからこそ、親のいない幼稚園や体操教室には期待していたのだけれども。
「勇気を学んで来い!」
そう言って、心を鬼にして獅子スタイルでナルを体操教室に送り出すことは出来る。
だが、それはやはり我が家のスタイルでは無いのである。
だから、考える。
どうやって勇気を教えてやろうか。
そもそも、勇気とは教えてやるものなのだろうか。
そんなことを考えている。
鉄棒が怖いのならば、鉄棒への恐怖を克服することで勇気を持てるのではないか?
公園で、家の遊具で、お父さんが傍に補助でついてやって、鉄棒遊びを成功させることによって、ナルは鉄棒への恐怖を克服できるのではないか?
勇気を学べるのではないだろうか?
そんな試行錯誤をしている最中である。
点が線になる
だけど、本当は分かっているのだ。
勇気は教えるものでも、学ぶものでもない。
自分の中にあることに気付くものだという事を。
自分の中で見つけてくるものだという事を。
子供たちにとって、日々起こる一つ一つの出来事は点のように散在しているのだろう。
先日、ナルはお隣のマヤト君と喧嘩してしまった。
なかなかショックな出来事だったようで、夜寝ているときに夢でうなされたりしていた。
それを、マコの助言で「いっしょに なかよく あそぼうね!」と、自ら声をかけて仲直りすることができた。
それからナルは、あまり親しくなかったお友達にも「いっしょに なかよく あそぼうね!」と、自分から声をかける事が出来るようになったらしい。
そして、ナルが声をかけるから、今度はお友達がナルに声をかけてくれるようになったというのだ。
ナルの中では、点のように散在していた出来事たちが、幾つも線として繋がっていったことだろう。
きっと、内面の点と点が繋がる事、それを成長と呼ぶのだろう。
私はナルに勇気を教えるのではない。
いつかふとしたきっかけで線になるための点を、増やしてやらなければならないのだ。
いくつかの線が引かれた時、そのどれか一本を勇気と呼ぶことができるようになっていたりするのだろう。
私とマコは、これまでも、これからも子供たちの気持ちに寄り添いたいと思っている。
そして、それこそが最も大切な親がやらねばならないことだと信じている。