シコウ錯誤の日々

ナル(4歳男児)とトモ(2歳男児)のハザードレベルを上げるために日々奮闘中。

「子供たちの視線」 子は親の鏡

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クソ暑すぎる日が続いている。

熱中症が日本中で猛威を振るい、先日は小学校1年生の男の子が亡くなるという痛ましい悲劇も発生した。

7月20日に全国の小中高校で行われた終業式でも、多くの生徒が熱中症で倒れているようだった。

 

 

校長先生挨拶!

私には未だに覚えている出来事がある。

高校の3年生の夏。

あの夏も常軌を逸したクソ暑さだった。

場所によっては『平成の大渇水』と呼ばれる水不足が起こったような夏だった。

 

クソ暑い1学期の終業式。

その年に赴任してきた校長先生の1学期の終業式で語ってくれた言葉を、私はまだ覚えている。

 

「夏を制する者は人生を制する!以上!」

 

もう、終わりか!?終わりなのか?

最短の挨拶を終えて壇上から降りる校長先生に、全校生徒拍手喝采であった。

こうして20年経っても、そんなエピソードとメッセージを思い出すわけだから、実に力のある言葉であった。

 

校長先生の挨拶はいつも非常に短かった。

平均しても1分以内ぐらいだったと思う。

その短さは衝撃的であり、名物であり、誰もがその短さに期待していた。

元国語の先生だったらしいけれど、この人の授業を受けてみたかったなぁと思わせるような人だった。

顔も名前も、もう覚えていないのだけどね。

 

 

卒業式の言葉

それから、大学受験という人生の一大事を乗り越え、卒業式を迎える。

今日も短いのかな?

いや、今日は来賓の方も多いし、流石に1分というわけにはいかないか。

 

その日のスピーチは、割と普通のものだった。 

校長先生は、地元の大洲市の自然現象に例えた話をされたりしていた。

 

「青春とは肱川あらしのようだ」

「外から見ると美しいが、中に入ると厳しい寒風が吹き荒れている」

 

苦しく、辛く、大変だった青春時代。

勉強漬けだった3年間。

ようやく大学受験を終えたが、合格発表を控え、不安だった。

あの日、私はまだ青春という嵐の中にいたのだ。

 

励ましの言葉でも、労りの言葉でもなく、ただ我々の姿をそう例えてくれたことを、今でも覚えている。

 

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上流で発生した霧が、町を覆い、肱川に沿って一気に海に流れ出す。

肱川あらし - 大洲市観光情報 - 大洲市ホームページ

 

  

あらしの中で

今、あの頃を振り返り、もう一度戻りたいとは全く思えないけれども、必死に頑張った日々はやはり美しく輝いて見えるのである。

 

あれから、随分と時が経ったが、苦しい時には幾度となくこの言葉に励まされた気がする。

辛く苦しい出口の見えない日々の中で、「ああ、自分はまた嵐の中にいるのか」と思えるのだ。

 

あの頃はまだ子供で、戦う術すら無かった。

だが今はもう大人で、戦う術があるじゃないか。

それならば、この厳しい寒風をいっそ楽しむ方法を模索しよう。

そう思えるのである。

 

私はマコに言う。

「育児を楽しもう!」

そして、知恵を絞り、あらゆる手を尽くすのだ。

 

 

言葉の力

思えばこれまでに多くの人の挨拶、スピーチを聞いて、聞かされた。

誰が、何を、話してくれたのか。

今ではもう殆ど覚えては居ない。

もしかしたら頂いた言葉は私の血肉となっているのかもしれないが、覚えていないのだ。

 

多分、言葉というのはそんなものなのだと思う。

決して万能ではないのだ。

 

 

上記の言葉も、あの校長先生の言葉だから、かろうじて覚えているのだろう。

それに加えて、色々と状況とかそのあたりが腹に落ちたんだろうな、と思うのである。

 

私はこれから、多くのことを、ナルトモに『言葉』で伝えることだろう。

それらが、脳味噌から消えても、血肉になってくれるならば幸いであるが、言葉を過信してはならないのだろう。 

何を言ったのかではなく、誰が言ったのか。 

そうやって、言葉の力を高めてやる必要があるのだ。

 

 

どんな言葉よりも、私がどんな生き方をするかという事の方が、ナルトモに大きな影響を与えることだろう。

 

 

父親は子供に背中を見せれば良いと言うが、子供たちは父親の背中をじっと見ている。

私は子供たちの視線を浴びながら、これから生きていかなければならないのである。 

言葉以上に、行動で、生き方で示さねばらなない。

子供に「勉強しなさい!」と言葉で言うよりも、親が勉強する姿を見せる方がずっと効果があるという事だ。

 

それが、父親と息子の関係なのだろうなと思うのである。